野口逃げ切り金! 日本連覇/女子マラソン
左手で1番を示しゴールする金メダルを獲得した野口
優勝し日の丸を背負う野口みずき
観客の声援を受けパナシナイコ競技場内を走る野口みずき
アレム(右、エチオピア)と競り合う野口みずき

<アテネ五輪:女子マラソン>◇22日午後6時(日本時間23日午前0時)◇マラトン発、パナシナイコ競技場着42・195キロ◇天候晴れ、気温35度、湿度31%、北の風1・1メートル(スタート時)◇出場49カ国82人

 女子マラソンで、野口みずき(26=グローバリー)が悲願の金メダルを獲得した。27キロ付近で先頭集団から抜け出すと、30キロ過ぎから完全に独走。昨年の世界選手権覇者ヌデレバ(ケニア)に追い上げられたが、2時間26分20秒で優勝した。日本女子では前回シドニー大会の高橋尚子(スカイネットアジア航空)に続く金メダルを獲得。同じ国の連覇は女子マラソンでは史上初の快挙となった。五輪発祥の地で、野口が伝説の最強ランナーになった。

 歴史の香り高きパナシナイコ競技場に、ニッポンの野口が飛び込んできた。後続はヌデレバがいた。猛追を受けた。しかし、金メダルへのビクトリーロードは譲らない。日の丸の旗が大きく揺れた。五輪発祥の舞台。野口が笑顔でゴールテープを切った。ついに金メダルをつかんだ。

 現地時間午後6時に号砲は鳴らされた。日本のお家芸・女子マラソンは最近3大会で、92、96年と有森裕子が銀、銅、00年には高橋尚子が金メダルで表彰台に上がった。アテネでは3人娘の中で誰の笑顔が咲くのか。前回優勝の高橋でさえ選考会で落選する日本の選手層。気温35度と厳しい条件だが、今回の3人娘への期待は高かった。

 序盤は世界記録保持者ラドクリフが引っ張った。昨年4月のロンドンで2時間15分25秒の世界最高記録を樹立。その優勝候補をぴったりマークしたのが野口だった。昨年8月の世界選手権銀メダリスト。5月の中国・昆明の高地合宿では1350キロを走り抜いた。「流れに乗ってスパートしたい」。お守りをパンツに縫い付けて追走した。

 10キロ地点でラドクリフを先頭に、野口は4番、土佐が6番、坂本が7番手で通過。15人で形成した先頭集団だった。その中で静かに燃える土佐がいた。松山大陸上部時代の2年先輩で、NTT西日本大阪陸上部で活躍していた村井啓一さんとは、結婚を前提に交際する両親公認の恋人。02年ロンドンで当時日本歴代3位を記録後、右足首の負傷で悩んだ。彼がいなければ、五輪出場はなかった。「粘りのレースがしたい」。アスリートとして、1人の女性として夢に向かって走った。

 中間地点では8人による先頭集団だった。1時間14分02秒とペースは速くはない。記録より順位。トップは土佐だが、野口、ラドクリフもいた。32キロまで続く上り坂に、坂本も十分対応した。起伏の激しいコースを考え、事前に米コロラド州で「肺が破裂しそうな、最高の練習をしてきた」。日本の3人娘は表彰台圏内。昨年の東京で高橋に勝ったアレム、世界選手権覇者ヌデレバ、今年のロンドンを制したオカヨもいた。

 レースは27キロ付近で急展開した。沿道で家族が見守る中、野口が飛び出した。両親の視線が勇気を与えてくれた。2番手のアレムも追う。しかし、3番手ラドクリフ以下は約50メートルも離された。30キロ過ぎにはアレムに29秒差もつけた。夕日を正面から受け、野口が金メダルへと独走態勢に入った。

 35キロ過ぎにはラドクリフが戦線離脱。前回大会で高橋が日本人初の金メダルを獲得した。その同じVロードを、今度はアテネで野口が突っ走る。37キロ地点でサングラスを頭に上げて視界を広げた。その表情は世界最強マラソンランナーのものだった。

(日刊スポーツ) - 8月23日9時24分更新


「神様ありがとう」マラソン金の野口、指で「1番」

【アテネ=山路博信、原口隆則】第1回五輪マラソンでもゴール地点となったパナシナイコ競技場で、夕暮れの空に向かって左手の人さし指を高く突き上げた。1番。22日夜(日本時間23日未明)に行われた女子マラソン。野口みずき選手(26)(グローバリー)は最後の1歩も跳びはねるようにゴールテープを切った。

 「神様ありがとう、という感じです」。アテネの女神は最も強く金メダルを望んだ女性の願いをかなえた。

 照明がともされた競技場に、午後8時24分過ぎ、野口選手が現れた。日の丸が揺れ、「ウォー」と大歓声が起きる。ライバルのポーラ・ラドクリフ選手(英)の応援をしてきた英国人ファンも野口選手に旗を振り、気温30度前後の過酷なレースの勝者を惜しみなくたたえた。

 野口選手はゴールすると、両手を大きく広げ、喜びを体いっぱいに表した。そして、過酷な道程を支えてくれた右足の靴を脱ぎ、キスした。日の丸の旗を肩に羽織る。カメラのフラッシュの嵐を浴びて、両目に浮かんできた涙を、左手でぬぐった。

 昨秋、野口選手は世界選手権の個人の銀メダルと、団体で得た金メダルを両親に見せた。そして、こう言った。「金と銀じゃ、全然重さが違うでしょ」。それから1年。野口選手はひたすら金メダルを目指して、酷暑の中を走り続けた。

 スタンドでスクリーンに映し出される野口選手の走りを見守っていたグローバリーの藤田信之監督(63)は、競技場にトップで入ってくると、「ミズキー、ミズキー」と絶叫。スタンドの一番下に飛び降りてゴールの方に駆けだした。レース前、「25キロを過ぎて仕掛けないと勝機はない」と作戦を立て、途中も携帯電話で「タイムはええ。後はダッシュするだけや」などと沿道のスタッフに細かな指示を与えた。

 「筋書き通り動いてくれた。本当によくやった。うれしい。世界選手権で銀を取ってくれて、それが今度は金になった。よかった」。藤田監督は興奮に顔を上気させ、まな弟子を褒めたたえた。

 スタンドには、前の会社を退社後、励まし合って練習を続けてきた「チーム・ハローワーク」時代の同僚も駆けつけた。加岳井(かがくい)ひとみさん(26)は「あの時代を乗り越えて、今がある。みずきは私たちの代表。よくやってくれました」と目を真っ赤にした。

 野口選手の父稔さん(53)、母春子さん(53)、兄尚徳さん(31)は、36・5キロ付近で沿道に立ち、トップを疾走する娘に声援を送った。いつもは「みずき」とだけ声を出す稔さんが、「頑張れ、みずき」と3回連呼した。

 3人は、野口選手が通り過ぎた後、競技場を目指して無我夢中で走ったが、ゴールには間に合わなかった。夢中で走りすぎ、苦しくなって途中で酸素吸入を受けた春子さんは、「みずき、間に合わなくてごめんね」と言って、涙を浮かべた。野口選手に高校に進学して陸上競技を続けることを勧めた尚徳さんは「あの時は、頑張ってやってみたら、と言った。走り続けてくれて、よかった」と話した。

 春子さんは、多くの友人からもらったお守りのうち、一つを選び、レース前に娘に渡した。野口選手は、それを左腰に縫いつけて走った。

 「もう、幸せです。ありがとう。大歓声を自分のものにできて、すごくうれしい」。野口選手は、自分を支えてくれた人たちの声を力に変えて42・195キロを走り抜けた。

(読売新聞) - 8月23日12時10分更新


野口がゴール後にみせた「シューズにキス」の秘密
スポーツナビ / 文=梶原弘樹
金メダルのゴール後、靴にキスする野口みずき

後半の疲労

 時計の針は午後5時45分、スタートまではあと15分。マラトンの丘はまだ陽が高く、体感温度は35度を超えていたと思う。スタート地点にはまだ選手の姿はなく、意外にのんびりとした雰囲気。突然、野口みずきと土佐礼子の2人がサブトラックの方から飛び出してきた。
 2人とも笑顔で、どこか余裕を感じた。歩んだ先には、今回の代表3人が履く特注シューズの製作を指揮した、アシックスの三村仁司グランドマイスター(56)の姿があった。
「調子はどうや? なかなか良い感じやないか」。
 視線の先の野口は、笑顔の中にも、すがるようなまなざしで三村さんを直視して言った。
「昨日はシューズを抱いて寝たんです」

 午後6時、号砲は鳴った。選手たちは勢い良く駆け出していった。オリンピック史上稀にみると言われる過酷なレースの舞台へと。

「シューズを抱いて寝るなんて、製作者としては冥利(みょうり)に尽きますね」
 ゴール地点へと向かう車の中で三村さんにこう聞いた。
「まあ、それだけ愛着があるということやね。そういう子は強いよ」
 眼の奥に、何か確信めいたものを感じた。
 さらに、私には確認しておかなければいけないことがあった。
「3人はどのシューズをチョイスしていましたか?」
「野口はスポンジ底の一番スピードが出るやつや。土佐と坂本はウレタン底の以前から愛用しているやつやね。それがどう出るかやね……。後半の疲労が心配やね」

コース分析し2種類の靴底を製作

 「スポンジとウレタンの違い」については補足しなければならない。三村さんが「心配した」疲労の度合いに直結するからだ。
 最近の選手が使用するランニングシューズは靴底がウレタン製が主流である。これは、例えば日本の舗装された道路など、整備された柔らかめのロードを走る場合は、材質が硬めのウレタンの方が反発性が良くスピードが出る。
 ところが、三村さんはアテネのコースを2回視察し、さらには3人がコースを試走して「結構、足にきました」という感想を述べていたのを聞いて、ある確信を持っていた。
「所々大理石が混じっているここの舗装道路は硬くて滑りやすい。ウレタンよりもスポンジを使った方が足の衝撃(加重)が弱まり、『足のスタミナ』のロスが防げるんじゃないか」ということだ。

 シューズ作り30年を数える職人の独特な勘は、正確な状況分析からも導き出された。
「今回のコースはね、路面が硬いだけでなく大理石が混じっているんで滑りやすいんよ。水をまくらしいから余計ね」
「さらに言うとね、前半に細かいアップダウンがあるでしょ。加重というのは登りが通常の2.5倍で下りが3.5倍程もかかるんですわ。今回のコースは6キロ過ぎから17キロ位までずっと下りが続く。そやから、ここで足に負担があったら、後半のスパートはかけられんのですわ」。
「野口が勝つとしたらね、彼女は下りが苦手なはずやから、この前半のなだらかな下りでいかにロスせず走って力を温存し、20キロ~30キロの登りのどこかでスパートするパターンだね」

前日インタビューの通りになったレース

 この一連の話を聞いたのは実は、レース前日のことだった。まるで、翌日の野口のV走を予想したかのようだった。
「3人のうちでは野口が一番調子がええね」と仰るものだから、「どうしてそうお思いですか?」と尋ねたら、
「ワシの言うた通りのシューズを、迷いもなく履いとるでしょ。ということは調子がええっちゅうことですわ」
「坂本は直前になって『やっぱり履き慣れたウレタンでいきます』言うから、急遽(きゅうきょ)作って持ってきたわけ(アテネ入りしたときに空港でシューズを渡した)。前半で疲れが出ないか心配やなー……」

 正直いって、今回の結果がシューズのみに起因するわけではない。ただ、「微妙なアップダウンが続く31キロ付近に差し掛かったところで多分勝負はついていると思うなー」と前日に語っていた三村さんの眼力に狂いはなかった。
 オリンピックという誰でも勝利を優先する大舞台で、25キロ過ぎという早めのスパートに出た野口の頭の中には、「このシューズは私にスタミナを温存させてくれているはずだ」という信念があったはずだ。でなければ、いかに作戦とはいえ、あのタイミングで前に出る勇気はとても持てない。

「シューズにキス」は野口の感謝の印

 有利といわれたラドクリフ(英国)が苦悶(くもん)の表情を浮かべながら失速する姿、ゴールをして次々と担架で運ばれていく選手たち……。それに比べて、最後まで飛ぶようにストライドが落ちなかった野口の走りは何と美しかったことか。
 今回のタフなコースは、三村さんの30年の経験と感性を紡ぎ合わせた最高傑作品を生み出させる、格好な舞台となったのだ。
 レース前日はシューズと一緒に床に入った野口。テレビ局各社の特設スタジオを周回した後に休む枕元には、再びそっとシューズを置くに違いない。


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