まさに大「金」星、アイちゃん猛スパートで世界一

 【アテネ五輪 第8日(20日)=結城正】猛烈スパートで大金星の金メダルだ! 女子800メートル自由形決勝で、柴田亜衣(22)=鹿屋体大=が最後の50メートルで猛スパート、8分24秒54で優勝、初出場の五輪で金メダルを獲得した。自由形のメダル獲得は1960年ローマ五輪の山中毅(男子400メートル)以来、日本競泳女子では初の五輪メダルの快挙となった。競泳女子の金メダルは92年バルセロナ五輪の岩崎恭子(200メートル平泳ぎ)以来、12年ぶり4人目。世界の晴れ舞台で、夢の「シンデレラ」が誕生した。

 追う。追いつく。並ぶ。750メートル、最後のターン。柴田のロケット・スパートが火を吹いた。後続をグングンはなして、トップでゴール! 日本の競泳女子の歴史が塗りかわった瞬間だ。だれもやったことのない五輪女子自由形での優勝。たくましく日焼けした顔に、対照的な白い八重歯をのぞかせて、柴田が会心の笑みを輝かせた。

 「泳ぐ前にコーチから慌てず、焦らず、あきらめずといわれた。これを頭の中で繰り返していた」

 「2番手」を殻をついにその手で打ち破った。日本の中長距離エース、山田沙知子(21)=コナミスポーツ=の陰に常に隠れた存在だった。昨年の世界選手権(バルセロナ)の代表だが、スポットが当たるのはいつも山田だった。それが五輪シーズンに入り、メキメキと頭角をあらわした。

 圧巻は、五輪代表選考会の日本選手権(4月)。400は5秒36、800は10秒69も、自己ベストを更新。400自は五輪でさらに更新。驚異的な伸びだった。「遠い存在だった」という山田との距離も縮まり、ついに本番では逆転してしまった。

 昨年10月、アテネを真剣に目指すことを決めた。指導する田中孝夫コーチ(56)は、柴田に言った。「悪い結果になった場合は、選手生命が終わるかもしれない。おれに命を預けろ」。柴田は言った。「命、預けます」-。二人三脚の特訓が始まった。

 7月の米国での高地合宿では、普段の練習と変わらない距離を泳いだ。400メートルと800メートルに対応するため、徹底的なスピード練習。身長1メートル76の大型スイマーは、選手生命をかけて取り組んだ。最大酸素摂取量は体重1キロ辺り50ミリリットルで「選手としては、ごく普通」(田中コーチ)。厳しい練習に耐え、努力でレベルアップした。

 25メートル息継ぎなしのダッシュや、限界まで息継ぎを減らす特訓。1回8000-9000メートルと異例の量を泳いだ。同コーチは「体を壊すか、最悪、選手生命がなくなるかもしれない練習だった」。代表集合のギリギリまで追い込み続けた練習を、成果に結びつけた。

 子供のころから体が大きく、目立つまいと、逆に控えめな性格になっていた。いまでは山田のことを「ほかの人もいるので、特に意識することはない」と言い切れるまでに自信をつけた。女子自由形で日本初の金メダル。これも北島の2冠に負けない、夢の快挙だ。

(サンケイスポーツ) - 8月21日11時0分更新


超新星、柴田亜衣が金…ラスト50メートル大逆転

 【アテネ20日=五輪支局】日本のメダルラッシュが止まらない。競泳女子800メートル自由形の柴田亜衣(22)が終盤の大逆転劇で女子の自由形史上初の金メダルを獲得。柔道でも男子100キロ超級の鈴木桂治(24)と女子78キロ超級の塚田真希(22)が、最重量級でアベックVを果たし、日本の金メダルは早くも12個に達した。日程の半分以上を残して選手団の目標だった「2けたの金」をクリアし、過去最多だった東京五輪の16個にも迫る勢いだ。

 波に乗る日本競泳チームの上野広治ヘッドコーチは「アテネの空に神風が吹いている」と話した。実況のアナウンサーはゴール直前、「とんでもないことをしでかしそうだ」と叫んだ。“超新星”柴田の金メダルは、それほど周囲の予想を上回る出来事だった。

 予選3位のタイムで決勝に進出した柴田は「前半からとにかく行く。そして粘る。最後まであきらめない」とレース前に誓った通り、序盤から2位につけ、先頭で飛ばすマナドゥ(フランス)をマークした。600メートル付近からペースの落ちたマナドゥとの差をグングン縮め、ラスト50メートルでついに逆転。悲鳴と歓声が渦巻く中、先頭でゴールした。

 大会前には無名だった柴田が女子自由形では日本人初となるメダル獲得の快挙を「金」で達成し、日本競泳女子4人目の金メダリストに輝いた。「自分でもまさか金メダルなんて本当にビックリ。(日本チームの)いい流れに乗りたいと思っていた。夢かな? と思っちゃいました」。

 レース直後は日の丸の扇子を片手に、おどけた調子で金メダルの感想を話した。実感がわいたのは、ペロリと舌を出して表彰台に上がり、八重歯のかわいい笑顔を咲かせた後だった。

 「金メダルを首にかけて、日の丸を揚げて、君が代が流れたら、ダメでしたね。えへへ」

 プール脇で田中孝夫コーチに握手を求められると、うれし涙が止まらなくなった。金メダルは、コーチと二人三脚で“命賭け”の特訓をした努力の結実だった。

 徳島県脇町出身。地元のスイミングスクールで3歳から水泳を始めた柴田は、水泳部のない高校に入学。水泳同好会で毎日1人で練習していた。もちろん目立った記録はない無名選手だった。

 中長距離で頭角を現したのは、田中コーチのいる鹿屋体育大に入学し、競争相手に恵まれてから。一昨年のパンパシフィック選手権で初めて日本代表に選出され、五輪種目にはない1500メートルで4位に入った。

 アテネ五輪を狙うことを決めた昨秋には、田中コーチに「悪い結果になった場合、選手生命が終わるかもしれない。オレに命を預けろ」と覚悟の約束を強要された。柴田は「預けます」と即答し、毎日1万7000メートルを泳ぎこんだ米国での高地合宿や徹底した心肺機能強化、スピードトレーニングが無名の少女を金メダリストに変えた。

 田中コーチも「ルビーかサファイアかと思ったが、実際に磨いたらダイヤモンドだった」と驚く変身ぶりだった。

 日本女子の中長距離には、2大会連続の五輪出場で、今季世界最高もマークしているエースの山田沙知子(21)がいた。五輪のメダル候補の欄には、必ず山田の名前があった。だが、今季泳ぐたびに自己記録を更新してきた柴田は、五輪の400メートルでも自己新をマークして5位に入賞。気合が空回り気味で6位に沈んだ山田を上回り、好調ぶりを示していた。800メートルでは予選落ちした山田の分まで期待を背負っての登場だったが、スタート前に得意の笑顔を作る余裕もあった。

 「中盤で離されたけど、ここであきらめちゃダメだと。レース前に田中コーチに言われた『あわてず、焦らず、あきらめず』を頭の中で繰り返し、冷静に泳げた」

 努力と、笑顔と、作戦と。「ふだんからボーっとしている方なので、大舞台はあまり気にならないんです」と涙声で笑った大器は、花開くべくして開いたのだった。

 ゴルフの宮里藍で幕を開けた今年の女子スポーツ界のブームは、アテネ卓球の福原愛で盛り上がり、柴田亜衣でとどめを刺した格好だ。アイは強い。

(夕刊フジ) - 8月21日13時3分更新


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